うつ病と出会う前の僕

いつからうつ病の症状が発症したか、もう覚えていませんが、うつ病様は僕の隣にいました。
当ブログにお越し頂き、ありがとうございます。このブログでは、うつ病様との出会いをきっかけに変わった僕の人生について赤裸々に経験を書いています。

もうすぐ平成が終わろうとしている中、平成の終わり数年間の僕の人生はうつ病様との二人三脚の時間でした。自覚した当初は正直どうしようと思ったものですが、今となってはすごくいい経験をしていると心から思っています。

自覚したのは2013年

2006年に僕は社会人となり、あるベンチャー企業へ就職しました。当時急成長中の会社で平日は夜遅くまで働き、休日もカフェに自腹で買ったノートパソコンを持ち込み仕事に明け暮れていました。

私生活でも社会人1年目に付き合った彼女と順調に関係も進み、付き合ってまる2年後に入籍(付き合った日と入籍日が一緒!)、ちょうどその頃には仕事のやり方も慣れてきて、所属していた部門の責任者になっていました。

当時は3名のチームで、和気あいあいと仕事もこなしていました。社員数も全体でも20名ほどで、若いメンバーばかりだったので、相変わらず夜遅くまで仕事はしていましたが心身ともに充実していた時期でした。

その後も順調に仕事に取組み、チームもメンバーが毎年増えていきました。最終的には12名ほどのチームまで成長しました。人が多くなるに連れてメンバーの価値観も多様化し、面談やフォローを通して所属しているメンバー全員がやりがいがある仕事に取り組めるように様々な工夫をしていきました。

ですが、後から振り返ると、この頃から違和感は生じ始めていたのでした。最初の変化は、2013年のこと。当時、チームの責任者を務めつつ、お客様への営業活動もする、いわゆる、プレイングマネージャーの役割を務めていました。この頃、チーム内のメンバーの退職が顕在化しており、リソースがなくなった分をカバーしながら計数達成のための施策に日々追われていました。退職によって中堅どころが不在となり、入社してまだ日が浅いメンバーが多くいるような状態。後輩の育成をしつつも、目前の数字もあげないといけない状態となっており、とにかく目の前の仕事に取り組むだけで他のことはできない状態になっていました。社長と他部門長との会議でも計画未達と顕在化している未解決の課題への対応の遅れの指摘が毎週のようにあり、精神的にすり減っていきました。

私生活でも、この年に第一子が誕生したのですが、生まれてすぐに先天性の重い病気を抱えていることが発覚。生まれて数日後に手術、また、その1か月後にも手術、と次から次へと起きる、想像もしていなかった出来事に冷静さを失っていったのでした。

この頃から、何となく気分が重いなぁ、会社行きたくないなぁ、と思うようになっていました。ただ、それ以上にチームの責任者として、そして、家族の長として、仕事で成果を出してしっかり稼がないといけない、という想いは人一倍強かったのです。徐々に、深く考えることを辞め、ただ無心で目の前のことをこなすロボットのようになっていきました。心が壊れていったのです。

2度のうつ病発症を経て行きついた先

結局僕は会社からジャッジが下されるまでは、成果も出せず、チームメンバーの離職も防げないまま、ただ何かよくわからずに動き続けている状態になっていきました。もうこれ以上はダメだ、そう判断され、最終的に僕は責任者を辞めることになりました。

会社までは辞めることはなかったのですが、仕事の内容が変わったことに戸惑いは隠せませんでした。ちょうど時間的な余裕もできたことがあり、今まで一度も行かなかった精神科医に行ってみることにしました。完全に偏見なのですが、精神科に行くことは色んなことが終わってしまう、という思い込みがあったんですね。うつ病であると診断されると人生負け、だと。今思えば完全にこれは間違いなのですが、当時は本気でそう思っていました。

病院で診断をされると案の定うつ病という診断を下されました。薬も処方され、仕事の仕方を相談するようにアドバイスをもらいましたが、それを僕は会社の誰にも言いませんでした。仕事を失ってしまうかもしれないという恐怖感からではありません。回りからの見え方が変わってしまうのが怖かったのです。

幸い、責任者を下りたことで、ストレスは軽減。プレイヤーの仕事が中心になったことで、ある程度仕事でも成果が出せる状態に戻っていました。2年ほど経過した時には、また部門責任者をやるチャンスが巡ってきました。不安はありましたら、僕はそのチャンスを掴むことにしました。それが、2016年頃の話です。

しかし、この時点では、僕自身うつ病についての知識も対処も未熟でした。なぜなら、うつ病であることを自分が認めず、その事実に蓋をしてしまっていたからです。当然、正しい知識や情報も入らないので、行動や習慣も何も変わりません。

うつ病が発症するのは時間の問題でした。結局、2018年に再発。この時は精神だけでなく、身体にも症状が重く出ました。朝起きると体が重い、気分が落ち込む、吐き気がする、といった症状です。この時は、何かにすがりたくてすぐに精神科医に相談に行きました。当然、うつ病として診断されたのですが、その時行った「簡易抑うつ症状尺度(QIDS-J)」の結果は「重度」。この時はもう自分が相当やばいところまで来ているという自覚もあったので、素直に薬を飲むことにしました。

その後、薬を飲みながら仕事を続けますが、パフォーマンスは日に日に下がっていきます。会社にも遅刻、欠勤が続き、遂には有給休暇も使い果たします。ここまで来てようやく回りに頼ることにしました。色々と後手に回り過ぎました。

最終的にどうなったかと言うと、会社に相談して、再度部門責任者から外してもらい、勤務体系も大幅に変更をさせてもらいました。また、うつ病であることを受け入れ、素直に情報を取り入れて、回りに頼るということをするようにしました。こうして、初めて、根本的にうつ病の症状が軽減し、うつ病になるよりも生きること自体に楽しさを感じられるようになっていきました。

今となっては、早く事実を受け入れ、行動習慣を変えることに取り組んでおけば良かったと思うこともありますが、それも含めて、必要な学びだったのかなと考えています。

結局、何がうつ病と付き合うのに必要だったか

6年間の経験を経て辿り着いたのは、次の3つのことがうつ病と共存しながら生きていくために必要だという考えです。

  • うつ病を正しく知る
  • 働き方を知る
  • 生きてくスキルを知る

現状を知り、最終的にどうしていくかを決め、そのための無理のない手段を実行していく、ということです。うつ病は「こころの風邪」などと呼ばれることもありますが、けして薬を飲むことでは治りません。むしろ、本当に悪なのか?とも思います。悪いものでないのであれば、強制的に治す必要もないのではないかとも思うのです。

うつ病について知っていくと、うつ病って実は「自分自身が自由に生きてくことができていない」時に症状として現れるものだということがわかってきました。逆を言えば、幸福度の裏返し、なのではなかとも(これは完全に僕の私見です)。

そう考えると、うつ病って、有難い存在だと思うんです。人生を生き急いでいる時に、このままだと幸福な人生にならないよ、と評価してくれるパートナー、のような存在だとも。

そこで僕は、「うつ病様」と呼ぶことにしました。そうすると、何だかポジティブな雰囲気がしませんか?いつか、うつ病様が表に出てこなくなったら、それは、自分自身が自由に生きてくための術を身につけて生きられている証明になります。

僕自身は、このことに気づいて生き方を変えてきました。そのため、ちょっとだけうつ病様が表に出てこない生き方について知っていて、実践もしています。それをこのブログでは発信していきたいと思っています。

もし、今、人生もう終わりだー、と悩んでいる方に、あ、こんな考え方もあるんだ、と気づいてもらえれば幸いです。また、僕自身が取り組んでみて変化が得られた行動や考え方を実践してみて、人生についての見え方がちょっぴり変わった、という方が1人でも出てくれば、僕自身の幸福につながります。

そんな想いで本ブログは立ち上げました。共に学び、共に経験し、そして、人生を自由に楽しんで生き終えられることを祈っています。